第1章
弁護士である妻・伊原ひまり(いばら ひまり)と、5歳になる娘が拉致された。
駆けつけたとき、爆弾が炸裂し、二人は目の前で灰になった。
犯人を追うために力を貸してくれた検察官の兄・伊原想太(いばら そうた)まで、奴らの手に落ち、拷問の末に殺された。
誰もが言った。
俺・伊原叶太(いばら かなた)は捜査のやり方が過激で、あまりにも多くの人間を敵に回した。
みんなが俺のせいで巻き込まれたのだから、本来死ぬべきだったのは俺だと。
さらに捜査一課からも外された。
あれから3年、俺はひそかに真犯人を追い続けていた。
そしてついに、手がかりをたどって一軒のレストランに行き着いた。
死んだはずの妻も、娘も、兄も――3年ぶりに、生きてそこにいる。
しかも、三人は一人の男の子の誕生日を祝っている。
親しい友人や家族まで、そこに勢ぞろいしている。
怒りに任せて駆け寄って問い詰めようとした、そのときだ。
背後から、親友にがっちり腕をつかまれた。
「叶太、こんな現実、受け入れられないのは分かる。でも、もう二人は夫婦なんだ。これ以上騒いだら、お前だって間男と同じだ。
3年前、ひまりちゃんは想太の子を妊娠してたんだ。叶太は気性が荒いって誰だって知ってる。だから二人は叶太から逃れるために死んだことにするしかなかったんだ」
隣にいる母は、俺をじっと見つめている。
その目には、はっきりとした警告の色が浮かんでいる。
「知られたなら知られたでいいわ。想太とひまりは、子供二人を連れて、これまでずっと身を隠してきたんだよ。この目で見てて胸が痛かったんだから。
今はあの四人家族、幸せに暮らしてる。叶太が身を引きさえすれば、みんなも許してくれるわ」
喉の奥から、血の味がこみ上げた。俺はこの人たちを見回し、自嘲するように笑った。
――そういうことだったのか。
ひまりも想太も、最初から死んでなんかいなかった。
俺が生き地獄のような3年間を過ごしている間、二人は何事もなかったように幸せに暮らしていた。
それを知っていたのは、俺以外の全員だった。
みんなで手を組んで、俺に隠していた。
第1話
そのとき、スマホが鳴った。
ひまりの法律事務所の部下からだ。
俺はスピーカーに切り替えた。
「叶太さん、犯人について新しい手がかりが見つかりました。10日後、犯人はある地下闘技場で取引するそうです。
本当に危険です。叶太さん、絶対に行かないでください!」
通話を切ると、俺はその場にいる全員を見渡した。
胸にぽっかりと穴が空いたように感じた。
ゆっくりとその場にしゃがみ込み、だぶついたズボンの裾と袖口をまくり上げた。現れたのは、全身に残る無数の傷跡だ。
足首には、肌がボロボロに焼けただれた跡がある。
船の上で犯人を追っていたとき、覆面の男に、赤く焼けた鉄のかたまりを押しつけられてできたものだ。
その手がかりを教えてくれたのは、俺の一番の親友、滝井和也(たきい かずや)だった。
家を買うためにギャンブルで多額の借金を抱えていた和也を、俺は借金ごと肩代わりし、まともな仕事まで見つけてやった。
背中一面に残る黒紫色の棒で殴られた痕。
ギャンブル場で犯人を追っていたとき、ヤクザに捕まり、まる一日にわたって殴られ続けて残った傷だ。
この手がかりをくれたのは、ひまりの親友だった。
その母親が癌になったとき、俺は160万円を渡した。それだけ恩を売ったのだから、向こうは俺に借りがあるはずだった。
下腹には、深く刻み込まれた刀傷がある。
廃墟になった屠畜場までたどり着いたとき、犯人の一人にナイフで腹を刺された。
傷は深く、運よく持っていた薬で血を止められたが、それがなければあの場で死んでいた。
その手がかりをくれたのは、俺が12年間世話をしてきた後輩だった。
そして今、その一人一人が、ここにいる。
本当に聞きたかった。
ひまりも想太も生きていること、そして犯人が偽物だと知っていたのに、どうして俺に、命を奪われてもおかしくないような手がかりを渡したのだろう、と。
新しい傷と古い傷が幾重にも重なる俺の体を見つめても、みんなの目には、俺が想像していたような罪悪感はない。
そこにあるのは、むしろ――当然のことだと言わんばかりの落ち着きだ。
しばらく沈黙したあと、ひまりが人垣をかき分け、ゆっくりと俺のもとへ歩いてきた。
そして、俺の体に残る傷跡をそっと撫で、困ったように息をついた。
「叶太は昔から抜け目がないもの。私たちが偽の手がかりを使って叶太の目をそらしておかなかったら、きっとすぐに、私と想太が最初から死んでなんかいなかったって気づいてた。
犯人役の人たちは、私たちが雇ったプロの役者よ。ちゃんと加減してくれてたから、本当に命が危なくなるようなことはしてないわ」
和也が苛立ったように俺をひまりから引き離した。
「犯人なんてただの役者だろ。叶太が受けた傷だって、せいぜい擦り傷みたいなもんだ。そんなに痛いわけあるか?
ひまりちゃんは今、想太の妻なんだ。二人がようやく叶太から逃れて一緒になれたんだぞ。少しくらい距離をわきまえてくれ!」
全身の血が、一瞬で凍りついたようだ。
耳鳴りが激しく頭の中を覆い尽くしている。胸を押さえながら、胸が痛いのか、それとも吐き気のほうが強いのかさえ分からない。
――なるほど。ひまりと想太の死だけが芝居だったんじゃない。
俺が命を削るように追ってきた一つ一つの手がかりまで、全部、嘘だった。
あの犯人たちは、すべて彼らが雇った役者だった。
俺が自慢にしていた傷跡も、しょせんは笑い話にすぎなかった。
彼らにとっては、想太が幸せになれるなら――俺が全身傷だらけになろうが、そんなことはどうでもよかったのだ。
第2話
必死に堪えている涙で、何もかもがぼやけていく。
その中で、ただ娘・伊原詩(いばら うた)の顔だけが、やけにはっきり見えた。
3年ぶりに再会した詩は、背が伸び、面影まで変わっている。
何はともあれ、詩が生きていてくれたことだけで、俺にとっては何よりの救いだ。
俺は夢中で駆け出し、立ちはだかるものをすべて押しのけ、詩を力いっぱい抱きしめた。
「詩、パパと一緒に帰ろう。な?」
次の瞬間、詩は俺の腕に思いきり噛みつき、さらに腹を蹴り上げた。
痛みに耐えきれず手を放した。
すると詩は想太の背後まで小走りに駆けていった。
顔を半分だけ出し、俺に向かって舌を出した。
「あなたなんて、とっくにパパじゃない。今は想太おじちゃんがパパなんだから!
絶対、一緒になんか行かない!あなたは勉強させてばっかり!
おじちゃんは違って、一緒にゲームしてくれるし、詩の好きなお菓子も買ってくれるの。
あなたは全然、詩を愛してない!こんなパパなんかいらない!」
信じられない思いで詩を見つめ、心臓を刃物でえぐり取られたようだ。
詩は幼いころから歯が弱く、医者にもきちんと手入れをするように、甘いものは控えるように言われていた。
本当に詩を愛している人間が、目の前の喜ぶ顔のために、その先の一生を台無しにするようなことをするだろうか。
想太は背後の詩を庇うようにして、得意げに俺へ笑いかけた。
「まだ知らなかったのか?3年前、詩が自ら俺たちと一緒に死んだことにして、出ていきたいって騒いだんだ。
最初は詩だけは叶太のところに置いていこうと思ってた。でもこの子、叶太みたいなひどい父親と暮らしたくないって泣きながら、俺に連れていってほしいって頼んだんだ」
俺は口を開いた。けれど、詩の目に浮かんだ嫌悪を見た途端、喉が塞がったように声が出なくなった。
ひまりにも、想太にも裏切られた。そして他の家族にも、友人にも。
さらに――俺が何より大切にしてきた娘にまで、見捨てられた。
魂が抜け落ちたように立ち尽くす俺を見て、ひまりの瞳に、ほんの一瞬だけ痛ましげな色が浮かんだ。
想太との間にできた息子・伊原陸(いばら りく)を抱いて、ひまりがこちらへ歩いてきた。
そして、静かな声で言った。
「叶太、どんな理由があったとしても、悪かったのは私だと思ってる。
だから、こうしよう。もう想太に何もしないと約束してくれるなら、詩も陸も、叶太を叔父として認めさせるわ。これからも、私たちは家族よ」
父と母は顔を見合わせ、満足そうにうなずいた。
施しでもするかのように、母は俺に言った。
「叶太、お兄さんとお義姉さんを見てみなさい。なんて心が広いんでしょ。
お兄さんに謝って、これからは家族みんなで仲良く暮らそう」
10年間、愛し続けた妻が、俺の義姉になった。
何よりも大切にしてきた娘が、俺の姪になった。
俺のすべてを奪った想太には何の落ち度もなくて、悪いのは俺だという。
――どうしてだ?
とうとう我慢できなくなり、俺は想太の頬を思いきり殴った。
「俺の家庭を壊したのは兄さんのほうだろ!どうして俺が謝らなきゃならない!」
言い終えるより先に、母の平手が容赦なく俺の頬を打った。
「まだそんなデタラメを言うの?
あんたさえいなければ、お兄さんとひまりはとっくに結婚したんだよ!」
目の前が真っ暗になり、鼻の奥いっぱいに、濃い血の匂いが広がった。
ひまりは慌てて俺を外へ押し出した。
「叶太、お父さんとお母さんに心臓の病気があるって忘れたの?もうわがままはやめて!」
俺は顔を上げ、見慣れているはずなのに、まるで他人のような顔を見つめた。
目の奥が、じわりと熱くなった。
「ひまり、俺が何をした?どうして、そこまで俺を憎むんだ?」
高校3年生のとき、俺たちは付き合い始めた。二人でA市の大学に進もうと、約束した。
けれど想太は大学受験に失敗し、A市へ行けなくなった。すると母は、想太を哀れむあまり、俺を部屋に閉じ込めた。
そして志望校を勝手に書き換え、俺まで想太について地方の町へ行き、勉強を支える役をさせようとした。
そのとき、ひまりは危険を知りながら窓を破り、俺を助け出してくれた。
小さな体で俺の前に立ちはだかり、まっすぐな目で言った。
「世の中に、こんなにひどい親なんているの?叶太には、自分の夢を追いかける権利だってあるよ!」
その後、俺たちは同じ大学に入ることができた。ひまりはいつだって、俺のそばにいてくれた。
俺が余計なことに心を乱されず、警察官になるという夢だけを追えるように。
結婚して3年目、任務中に重傷を負い、俺は意識を失ったまま目を覚まさなかった。
どうにか俺を目覚めさせようと、神なんて信じたことのないひまりが、1週間もかけて神社を巡り、祈ってくれた。
足がボロボロになるほど山を登り、全国一のご利益があるというお守りを授かってきた。
そのひたむきな願いが天に届いたのかもしれない。俺は本当に目を覚ました。
ひまりの足の傷跡を見て、俺は心配のあまり、馬鹿だと叱った。けれど彼女は、優しく俺の腰に腕を回した。
「何より怖いのは、叶太を失うことなの」
なのに、手を先に放したのは、ひまりだ。
俺がいちばん苦しんでいたとき、ひまりは別の男の妻になり、俺の子に別の男を父親と呼ばせた。
俺の夢もまた、三人が「死んだ」せいで打ち砕かれた。捜査一課から総務部へ回され、倉庫の管理人になった。
この3年間、俺は毎晩のように夢を見た。
爆発の炎の中で、ひまりと詩が灰になっていく夢。
想太が奴らの手に落ち、拷問されて殺される夢。
絶望の中でも、俺は犯人を捕まえられるかもしれない手がかりを、一つたりとも見逃さなかった。
なのに、最後に待っていたのは――
すべては、彼らが念入りに仕組んだ嘘だった。
第3話
俺は悲しみを必死に押し殺しながら、顔を背けてひまりを見ないようにした。
怖いのだ。
彼女の足の傷跡を見るのが怖い。そして、受け入れたくない真実を聞かされるのが怖い。
ひまりはため息をつき、目に浮かんでいるのは、いつもの優しさだ。
「私はもうお兄さんの妻なの。叶太がどれだけ騒いだって、妻として、母親としての責任は果たさなきゃいけないもの」
俺はうつむき、苦笑した。怒りに震えた声が、ひどく歪んだ。
「でも、ひまりは俺の妻だっただろ。俺に対する責任はどうしたんだ?」
息ができないほどの苦しさに、全身から力が抜けていく。それでも必死に踏みとどまり、ひまりの腕をつかんだ。
「一生、俺と一緒にいたいって言ったじゃないか……ひまり、いったいどうしてなんだ?」
「叶太!ここで取り乱すんじゃない!」
母が目を赤くして俺を突き飛ばした。俺はとうとう力尽き、その場に尻もちをついた。
「ひまりはもう、叶太の義姉なんだよ。どれだけ喚いたって、この現実は変わらない」
反論しようとした、そのとき。スマホから、聞き慣れない特別な着信音が鳴った。
警視庁からの電話だ。
俺はすぐに電話に出た。向こうから上司の声が聞こえてきた。
「伊原……公安委員会から調査結果が下りた。捜査一課に戻っていいぞ。
お兄さんの死は、君とは関係なかった。お兄さんはこの数年間、死んだことにして極秘の潜入調査をしてたそうだ!
彼が提出した一連の証拠をもとに、国際臓器売買事件を摘発した。今、彼は最高検察庁より表彰されることになってる……」
ガン。頭の中で、何かが弾けた。
その後何を言われたのか、もうまったく聞こえなかった。
――国際臓器売買事件って、俺がずっと密かに追ってきた事件じゃないか?
俺はその場にいる全員を置き去りにして、狂ったように家へ駆け戻った。
金庫を開けた。
この数年間、命を懸けて集めてきた証拠が――全部、跡形もなく消えていた。
俺はその場に崩れ落ち、絶望のあまり拳を握りしめ、床を何度も殴りつけた。
突然、背後から誰かが俺を強く抱きしめた。
「叶太、自分を傷つけないで」
俺ははっと振り返り、その瞬間、体が凍りついた。
ひまりだ。
そのとき、ふと思い出した。
金庫の暗証番号は、ひまりの誕生日だ。このことは、彼女しか知らない。
――ひまりだ。ひまりが俺の証拠を盗み出して、想太に渡したんだ!
胸が締め付けられるような痛みを感じながら、俺はひまりの腕を強くつかんだ。
怒りでうまく言葉にならない。
「ひまりが、証拠を盗んで兄に渡したのか?
俺が何年も証拠を集めるために、死にかけながら動いてきたのを知ってるだろ?あれが、捜査一課に戻るための唯一の切り札だったんだぞ!」
国際臓器売買事件は、俺が捜査一課を外される前に最後に担当していた事件だった。
容疑者たちが取引している決定的な写真を撮るため、俺は闇診療所の3階から突き落とされ、腰椎をその場で折られ、左の肩甲骨も粉砕骨折した。
犯罪組織の内部に入り込むため、買い手を装って闇取引に参加した。
そこでボイスレコーダーを見つけられ、犯人たちに真っ暗な地下室に閉じ込められた。まる3日間耐え抜き、命からがら証拠を持って逃げ出した。
――ひまりが、どうして俺が命と引き換えに手に入れた証拠を、想太なんかに渡せるんだ!
俺はひまりの肩を力いっぱいつかんだ。
ひまりは痛そうに眉を寄せたが、逃げようとはせず、まっすぐ俺の目を見た。
「これは叶太がお兄さんに返すべきものなの。
叶太がいなければ、お兄さんは死んだことにする必要なんてなかった。仕事を失うこともなかった。
叶太はお兄さんに、借りが多すぎるの。だから、この証拠はお兄さんへの詫びのしるしだと思えばいい」
俺は口を開き、怒りに任せて言い返そうとした。
けれど顔を上げると、母が部屋の外に立っているのが見えた。その手には、別の証拠が握られている。
「叶太がこの数年どれだけ大変だったか、母さんだって分かってる。でもね、お兄さんのほうがもっと苦労してきたんだよ。
お兄さんは昔から負けず嫌いなんだ。少しくらい助けてやれないの?
二人は実の兄弟でしょ。この手柄を誰が受け取ったって同じよ。そんなにケチケチするもんじゃないわ」
俺はふっと笑った。体中が震えるほどだ。
心臓に無数の針を刺されたように感じた。
――実の兄弟?
彼が俺の妻を奪ったとき、兄弟だってことを考えたのか?
俺の妻と娘を連れて死んだことにして、俺から仕事を奪い、誰からも蔑まれるようにしたときも――兄弟だってことを考えたのか?
俺は突然駆け寄り、母が持っていた証拠を細かく引き裂いた。
「もし残りの証拠まで兄に渡すつもりなら――俺は兄を道連れにして死んでやる!お母さんの目の前で!」
母は一瞬、呆然とした。
歯を食いしばり、顔を曇らせて俺を指さした。
「恩知らず!先に家族を捨てたのはあんたなんだから、この先何があっても、母さんを責めないで!」
ひまりは俺をじっと見つめ、それから母を支えるようにして立ち去った。
俺は目を閉じた。まるで体中の力をすべて抜き取られたように、隅で崩れるようにしゃがみ込み、身動きひとつしなかった。
窓の外が、少しずつ暗くなっていく。
昔は、俺がどれだけ遅くまで仕事をしていても、ひまりは必ずラーメンを作ってくれた。
今日も、帰る前に俺のためにラーメンを残していった。
俺はゆっくりと床から起き上がり、すっかり冷めたラーメンを、そのまま全部ゴミ箱に捨てた。
そしてパソコンを開き、これまで集めてきた一連の証拠を整理して一つの原稿にまとめ、真実を明らかにする動画を公開した。
「盗んだものには、必ず綻びが生じる」
第4話
世間の目はごまかせない。
俺が示した証拠のつながりは、想太のものよりはるかに緻密だ。俺が語った捜査の経緯も、筋道がずっと明確だ。
それに比べて想太は、どう見ても何不自由なく育った御曹司にしか見えない。
犯罪組織の中で命懸けの潜入捜査をしてきた人間には、とても見えなかった。
やがて、数え切れないほどの人間が検察庁に告発の手紙を送り、想太の解雇と、本来俺のものだった表彰状の返還を求めた。
この手柄が認められれば、昇進も夢じゃない。
俺はそう思ったそのとき、想太が配信を始めた。
カメラに向かい、悲しげな表情で訴えた。
「伊原叶太は俺の実の弟です。
俺は家族を大切に思って、最初は彼を責めるつもりなんてありませんでした。でも、彼は事実をねじ曲げて、俺の手柄まで奪おうとしたんです。だから、俺は皆さんに真実を話さなければなりません!
俺は犯罪組織に3年間潜入して、命の危険にさらされながら証拠を集めました。でも叶太は、ずっと前から犯罪組織とつながっていました。彼は犯罪組織と手を組んで、俺が集めた証拠をすべて盗み出したんです!」
母は左手に、俺が潜入捜査をしていた頃に犯罪組織の幹部たちと談笑している写真を、右手に俺の警察手帳を掲げて見せた。
そして、憎しみのこもった声で言った。
「私が証言します!伊原叶太はずっと前から犯罪組織とつながっていました。ほら、あの子が犯罪者たちと一緒に写った写真なら、ここにいくらでもあります。あの子は警察の裏切り者で、伊原家の恥です!」
隣では、和也がわざとらしくため息をつきながら、同調した。
「俺は伊原叶太の一番の親友です。俺も証言できます。
犯罪組織が叶太にお金を振り込んでいるところを、何度も見ました。それに、犯罪組織の女の幹部が、服もろくに着ていない状態で叶太の部屋から出てくるところだって、何度も見たことがあります」
俺は配信画面を睨みつけた。心臓を鈍い刃物で何度も何度も削られているようで、息もできないほど痛い。
何度も何度も、自分の潔白を訴える書き込みをした。けれど、誰にも届かない。あっという間に、数え切れないほどの罵声に埋もれていった。
【伊原叶太、本当に最低。実の兄の手柄まで横取りするなんて!】
【こんな奴、気持ち悪すぎる!こんなのが警察官を名乗る資格あるのか?警視庁にクレームして、今すぐこのクズをクビにしろ!】
【クビだけじゃ甘すぎる。伊原叶太は犯罪者の手助けをしてたんだろ。こいつだって犯罪者だ。さっさと刑務所にぶち込め!】
スマホの通知音が鳴った。
俺は配信を閉じ、震える指で警視庁から届いたメールを開いた。
【伊原叶太さんを懲戒免職とします。
公安委員会により、永久に警察官としての資格を失うこととなります】
俺はその場に立ち尽くした。まるで、胸のど真ん中を銃弾で撃ち抜かれたようだ。
――なくなった。警察官としての身分も、俺のすべてまで失った。
この数年間、俺は上司から止められても、勝手に事件を追い続けてきた。
犯罪組織と頻繁に接触していたのが、捜査のためだったのか、それとも本当に裏でつながっていたのか。
それを証明できる証拠は、俺の手元にはない。
家族も、友人も、みんなが俺を裏切り者だと言い切った。
実の親が、自分の息子を陥れるなんて――誰が信じるというのだろうか。
この世で、俺を信じてくれる人はもう誰もいない。
しばらく呆然として顔を上げたとき、見覚えのある姿が目に入った。
ひまりが、よろめきながら俺のもとへ走ってきた。
俺の前で立ち止まり、そっと手を握ってくれた。
「叶太、怖がらないで。
叶太の事件についてちゃんと調べたの。今、自ら出頭して罪を認めれば、刑を軽くしてもらえる可能性があるわ。
それに、お兄さんはついさっき大きな手柄を立てたから、彼が減刑を頼んでくれれば、きっと何とかしてもらえるわ。
長くても8年で刑務所を出られる。そのときに私が迎えに行く。お父さんとお母さん、そしてお兄さんを説得して、これからは家族みんなで暮らそうね」
骨の隙間まで凍りつくような寒気が、全身を這い回った。
――事件を追うために。正義のために。俺はすべてを捧げてきた。
何も悪いことなんてしていないのに、どうして刑務所に入らなきゃならない?
苦笑しながら、ひまりの手を強く振りほどいた。そして、そのまま廃墟になったマンションの最上階まで走った。
地上から百メートル以上の高さにある屋上で、俺は配信を始めた。
画面いっぱいに罵声が流れる中、笑いながらカメラに向かって言った。
「これまで俺が事件を追ってきたすべてを書き残しました。それぞれの記録は、俺の手元にある一つ一つの証拠に対応しています。そして、俺の体に残る一つ一つの傷跡にも。
この命を懸けて自分の潔白を証明します」
そう言い終えると、目を閉じ、百メートルの高所から背中を向けて宙へ身を投げ出した……