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俺の遺骨を捨てた婚約者、本当の命の恩人は俺だった
癌の治療を諦めた日、俺、鳴海恒介(なるみ こうすけ)は腎不全を患う婚約者のために、誰にも告げず腎臓提供の同意書に署名した。 ところが、両親に養子として迎えられた崎山州平(さきやま しゅうへい)がその手柄を横取りし、あろうことか俺が彼女を捨てて金を持ち逃げしたと嘘までついた。 実の両親すら俺を恩知らずと罵り、婚約者と州平を結婚させようと躍起になった。 そして、婚約者の瀬野明音(せの あかね)が州平からのプロポーズを受けようとしていたある日、彼女のもとに斎場から電話が入った。 俺の遺骨は3年間、誰にも引き取られないまま保管され、まもなく保管期限を迎えるという知らせだった。 残された唯一の遺品は、臓器提供同意書。その提供先の欄には、明音の名前がはっきりと記されていた。
チャプター (1)
第1章
癌の治療を諦めた日、俺、鳴海恒介(なるみ こうすけ)は腎不全を患う婚約者のために、誰にも告げず腎臓提供の同意書に署名した。
ところが、両親に養子として迎えられた崎山州平(さきやま しゅうへい)がその手柄を横取りし、あろうことか俺が彼女を捨てて金を持ち逃げしたと嘘までついた。
実の両親すら俺を恩知らずと罵り、婚約者と州平を結婚させようと躍起になった。
そして、婚約者の瀬野明音(せの あかね)が州平からのプロポーズを受けようとしていたある日、彼女のもとに斎場から電話が入った。
俺の遺骨は3年間、誰にも引き取られないまま保管され、まもなく保管期限を迎えるという知らせだった。
残された唯一の遺品は、臓器提供同意書。その提供先の欄には、明音の名前がはっきりと記されていた。
第1話
「みなさん、少し手を止めてください。保管期限を過ぎた遺骨はすべてここへ出しました。骨壺ごとに資料が添えてありますから。
マニュアル通りにデータを登録して、早めにご遺族へ引き取りの連絡を入れてください」
遺骨が納められた棚の扉が開く。聞き慣れた声が、俺の耳元に届いた。
強い光が差し込み、目の奥が焼けるように痛む。長いあいだ暗闇にいたせいで、明るさに慣れるまで時間がかかった。
ようやく目を開けると、そこにはずっと忘れられずにいた顔があった。婚約者の明音だ。
「明音……」
反射的に名前を呼んだが、声は出なかった。そこでようやく思い出す。俺はもう死んでいるのだと。
忙しく立ち働く明音の姿を見つめながら、俺はふと寂しさに襲われた。
彼女はこの斎場のトップなのに、どうして今頃になってようやく、俺の遺骨を引き取ろうとしたのだろう。
狭い保管棚に閉じ込められていた俺の魂は、年月の感覚さえ失うほど長く、この場所に縛られていた。
明音は骨壺の横の資料に目を留め、何気なく手に取った。眉をひそめ、そこに書かれた内容を読み上げる。
「死亡原因、末期の癌。治療を拒否し、婚約者に腎臓を提供……」
資料を読めば、これが自分のために命を差し出した俺の骨壺だとすぐに気づくはずだ。俺はそう期待した。
だが、明音は俺の骨壺を引き取ろうとはしなかった。資料を握りしめ、憤ったような声を上げる。
「この故人の婚約者、あまりにもひどすぎません?自分のために命まで捧げてくれたのに、3年も遺骨を放置して誰も引き取りに来ないなんて。どれだけ薄情な女なんでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、俺は頭が真っ白になった。
これは俺の遺骨で、そこに書かれているのは俺が生前、明音のためにしたことだ。それなのに、なぜ彼女は気づかないんだ。なぜ、自分自身をそんなふうに罵るんだ。
明音の声を聞いて、スタッフたちも手を止め、周りに集まってくる。
「そんなひどい話、本当にあるんですね」
「なんだか、瀬野さんの境遇と少し似ていますね。でも瀬野さんは優しくて綺麗だから、命の恩人と無事に結ばれたんですよね」
「そうですよ。瀬野さんは、この恩知らずな女とは大違いです」
明音は耳まで赤くして、照れ隠しのようにスタッフたちをたしなめた。
「もう、からかわないでください。ほら、仕事に戻ってください」
俺はますます混乱した。俺は明音に腎臓を提供し、そのせいで命を落としたはずだ。彼女が「命の恩人」と結ばれたというのは、一体どういうことだ。
そのとき、また別の声が聞こえた。
「明音、仕事は終わった?迎えに来たよ」
明音が振り返る。俺の視線も、彼女につられるように動いた。
「州平、来てくれたのね!」
明音は弾かれたように笑顔で駆け寄り、その男の胸に飛び込んだ。
崎山州平。かつて我が家で運転手をしていた男の息子で、事故で父親を亡くしたあと、俺の両親に引き取られた義弟だ。
「噂をすれば影、ですね」
「州平さんって、本当に理想の彼氏ですよね。3年間、毎日欠かさずお迎えに来てくれるなんて」
第2話
「なんだかお二人、そろそろ結婚するんじゃないかって気がするんですけど」
スタッフたちの囃し立てる声に、俺の思考は一瞬止まった。明音は州平と付き合っている。それも、もう3年になるらしい。
だとしたら、さっきスタッフが話していた「命の恩人」も州平だということなのか。彼女に腎臓を提供したのは、この俺なのに。
必死に状況を整理していると、州平が言いにくそうに口を開いた。
「そういえば明音、兄さんから、ずっと連絡はないの?」
俺は目を見開いた。俺が癌に侵されていることを知っていたのは州平だけだ。
偶然検査結果を見られてしまった俺は、誰にも心配をかけたくなくて、手術が終わるまで黙っていてくれと彼に頼み込んでいた。
それなのに、今の州平の言い草は、明らかに俺がどこかで生きているかのような口ぶりだ。
明音は不快そうに眉をひそめた。
「どうして今さら、恒介の話なんかするの?」
州平は無理に笑ってみせる。
「ただ、少し心配になって。ひとりで海外にいたら、何か嫌な目に遭っているかもしれないし。君が倒れる前は、兄さんも君のことを大切にしていたからね」
「あんな人が私を大切にするわけないでしょう?」
明音は突如として激怒し、まるで生ゴミでも見るような目つきで、俺への嫌悪感を露わにした。
俺は眉を寄せた。昔、真夜中に明音が高熱を出したのに、タクシーがまったく捕まらなかったことがあった。俺は彼女を背負い、息も絶え絶えになりながら病院まで走った。
あのとき明音は、「私を一番大切にしてくれるのは恒介だけ。これからもずっと恒介だけを愛する」と言ってくれた。
それが今は、俺を道端のゴミのように扱っている。
明音は深く息を吐き、怒りを押し殺すように続けた。
「あなたは人が良すぎるのよ。昔、恒介がどんな酷いことしたか忘れたの?
病気の私を厄介者扱いして捨てたばかりか、あなたのお金を騙し取って海外に逃げたじゃないの!」
俺は強く拳を握りしめた。この瞬間、ようやく確信した――州平は俺の死を隠しただけではない。俺が腎臓を提供した手柄を奪い、あろうことか俺を悪者に仕立て上げたのだ。
俺がどれほど失望の眼差しを向けても、彼女は州平の嘘を微塵も疑わなかった。
州平は俺をかばうふりをして、ひらひらと手を振った。
「兄さんにも、きっと何か事情が……」
明音はそれをすぐに遮った。
「もうあの人の話はやめて。これから食事に行くのに、気分が悪くなるわ。少し待っていて。すぐに片づけるから」
明音はスタッフたちへ向き直り、仕事の顔に戻った。
「今日の担当は誰ですか?この資料のご遺族へ電話してください。必ず連絡をつけて、あの薄情な婚約者に遺骨を引き取らせてください」
そう言いながら、彼女は手元の資料をめくった。
「ええと、名前は……鳴海、こう……恒介?」
明音の手がピタリと止まり、その目に信じられないものを見るような色が浮かんだ。
彼女は資料の文字を何度も見返した。そこに書かれているのは、間違いなく俺の情報だった。
資料を見つめる明音の顔から、スッと表情が消えていく。俺は、もしかしたら彼女が俺の死を悲しみ、州平の嘘に気づくのではないかと、わずかに期待した。
引き取り手のない遺骨を斎場が保管できるのは、最長でも3年だ。俺が海外へ逃げたのではなく、3年前に死んだという何よりの証拠になるからだ。
州平は明音の異変に気づき、作業室の奥へ歩み寄った。
「明音、どうした?」
明音は顔を上げて彼を見つめ、かすれた声でつぶやいた。
「恒介が死んだの……」
州平の目に動揺の色が走ったが、すぐに悲しみの表情でそれを覆い隠し、わざと驚いたふうを装って言った。
「何だと?あのとき、僕は空港まで兄さんを追いかけたのに。まさか、この3年のあいだに帰国していたっていうのか?」
明音は鼻で笑い、すべてを見抜いたような顔をした。
「どうせ海外でうまくいかなくて、こっそり戻ってきたのよ。その結果、天罰が下って死んだのね。
この資料にある情報は、生前に本人が書いたものよ。見て、州平。あいつ、あなたが私に腎臓を提供したことを知ってて、わざと嘘を書いてあなたの手柄を横取りしようとしたのよ」
第3話
「そ……そうか。見せて」
州平は言葉を濁しながら資料を受け取り、平静を装って眉を下げた。
「兄さんはどうしてこんな嘘を書いたんだろう」
明音は彼の手をいたわるように握った。
「あなたから腎臓をもらったことは、誰もが知っているわ。安心して。あんな嘘に騙される人なんていないから」
目の前に紛れもない事実があるというのに、明音は俺を信じない。胸の内側を引き裂かれるような痛みが走った。
明音は資料を無造作に放り出し、吐き捨てるように言った。
「死んでまで人を不愉快にさせるなんて、本当に最低な奴!期限切れの遺骨なんて、誰も引き取らなければ斎場のほうで処分するわ。もういいわ、レストランへ行きましょう」
州平は突然、俺の骨壺に手を伸ばした。悲しみに沈んだ顔を作っている。
「せめて遺骨だけは連れて帰ろう。なんだかんだ言っても、僕の兄さんだから。
故郷には、亡くなった人を家に連れて帰る風習があるだろう?こんな所でひとりぼっちにさせたくないんだ」
明音は不満げに唇を尖らせた。
「あなたは本当に人が良すぎるのね。分かったわ、好きにして」
州平が急に親切なふりをする理由が分からなかった。俺が遠くで野垂れ死ねばいいと願っていたはずなのに。
彼が骨壺を持ってレストランへ入り、席についた。それからほどなくして、俺の実の両親も現れた。
年月が経っても、二人の姿はほとんど変わっていない。両親が両腕を広げるのを見て、俺は抱きしめてもらえるのだと思った。
家族にすがりたい気持ちに駆られ、俺は両親のもとへ駆け寄ろうとした。幼いころのように、胸の内を聞いてほしかった。
だが次の瞬間、両親の腕は俺の魂をすり抜け、州平を抱きしめた。
「州平、よく頑張ったね。明音と結ばれて、本当によかった」
俺は必死に手を振った。息子が死んだことや、州平がどれほどおぞましい人間かを、両親に伝えたかった。
しかし誰にも俺の姿は見えない。何をしても届かなかった。
州平が自分から切り出した。
「お父さん、お母さん。僕は幸せになれました。でも、さっき不幸な知らせも聞いたんです。
兄さんが……亡くなりました。遺骨を持ってきたので、会ってやってください」
州平が店の隅を指差す。
両親は一瞬、言葉を失った。だが、俺が想像していたように骨壺を抱いて泣き崩れることはなかった。
父は怒りも露わに袖をまくり上げると、骨壺の蓋を開け、俺の遺骨をそのままごみ箱へぶちまけた。
俺は呆然と父を見つめた。息子が死んだと知っても悲しむどころか、その遺骨を踏みにじるなんて。
父は空になった骨壺を蹴り飛ばし、ごみ箱へ唾まで吐き捨てた。
「こんな縁起の悪いもん、持ってきてどうする!
あの恥晒しめ。昔、明音を見捨てて逃げたせいで、うちが世間からどれだけ後ろ指を指されたと思ってるんだ。
死んでよかった。これでやっと清々する!」
いつも穏やかだった母も、俺の遺骨には近づこうとしなかった。俺はてっきり、父の粗暴な振る舞いに怯えているのだと思った。
だが母は顔をしかめ、忌々しげに足を踏み鳴らした。
「食事の席に遺骨なんて持ち込んだら縁起が悪いじゃないの。早く店員さんを呼んで、ごみ箱ごと片づけてもらってちょうだい。
あの子が逃げたとき、私たちはもう親子の縁を切ったのよ。あなたにあれだけ世話になっておきながら、お金まで盗んでいったんだから。あんな恩知らず、もう息子じゃないわ」
胸の奥が一気に冷え切った。息ができないほどの絶望が押し寄せ、もう一度殺されたような気分だった。
母まで俺を厄介者扱いし、見ただけで不吉だと吐き捨てるなんて。信じられなかった。
州平は数歩進み、ごみ箱から遺骨を拾い集めるふりをした。
「お父さん、お母さん、そんな言い方はやめてください。兄さんはもう罰を受けたんです。きっと自分の過ちにも気づいているはずですから」
第4話
「今日ここへ連れてきたのも、僕たちの幸せを兄さんに見届けてほしかったからです。あの世から、家族の無事を祈ってもらえればと思って」
父と母は州平の手をつかみ、遺骨を拾わせなかった。
「州平、お前はまだ若いから、誰のこともいい人だと思い込んでしまうんだ。そんな甘い考えじゃ、お前が痛い目を見るだけだぞ」
「州平、ちゃんと話を聞いて、あんな疫病神、灰も残らないくらい綺麗に捨ててしまわないと、あなたたちにまで厄が移るわ」
「おじさんとおばさんの言う通りよ。あなたは一度あいつに酷い目に遭わされてるんだから、同情なんかする必要ないわ」
明音も両親に同調し、すでに店員へ声をかけていた。
「すみません、このごみ箱を片づけてください。中身はできるだけ遠くに捨ててきて」
ごみ箱が運び出されると、両親は何事もなかったように元の穏やかな表情へ戻った。俺の存在など、最初からなかったかのように。
母は州平へ笑いかけた。
「州平、明音にサプライズを用意したんでしょ?今がちょうどいいわ。早く出してあげなさい」
「サプライズ?」
明音が首をかしげる。その隣で州平は、ここぞとばかりにベルベットの指輪ケースを取り出した。
明音はすぐに意味を悟り、口元を手で覆った。目には期待と喜びが浮かんでいる。
母が背中をそっと押した。
「ぼんやりしていないで、明音。この子は何年も待っていたんだから、これ以上待たせないであげて」
父も続けた。
「あんな恩知らずがいなければ、お前たちはとっくに一緒になれていたんだ」
州平はきっぱりと首を横に振り、無理に笑顔を作ってみせた。
「お父さん、僕は兄さんを恨んでなんかいません。だって、兄さんはお父さんの実の息子で、血のつながりがあるじゃないですか。
僕をこの家に置いてくれただけで、十分ありがたいんです」
母は目を赤くし、州平の手を強く握った。
「本当にいい子ね。あんな奴にどれだけいじめられても黙って耐えていたなんて、かわいそうに。あなたを守ってあげられなかった私たちが悪いんだわ」
母の言葉の端々から、州平が俺について、ありもしない悪行をいくつも吹き込んでいたことが分かった。
彼を家族として迎えてからというもの、俺は本当の弟のように接してきた。いじめたことなど一度もない。
胸が締めつけられ、俺はただ立ち尽くした。生きていようが死んでいようが、ここでは同じなのかもしれない。両親の前には、俺よりずっと愛された息子がすでにいるのだから。
州平は一歩前へ出て、明音の前に片膝をついた。
「明音、ずっと君が好きだった。何年も、君だけを想ってきた。僕と結婚してくれないか?一生、君を大切にするから」
周りの客が振り向き、手を叩きながら囃し立てた。
「結婚して!」
「受けてあげなよ!」
「……」
明音は涙を浮かべ、恥ずかしそうにうなずいた。
「喜んで……」
彼女が手を差し出そうとしたとき、場違いな着信音が鳴り響いた。
明音は眉をひそめ、スマホを取り出してすぐに通話を切った。
だが気持ちを整える間もなく、着信音がまた鳴る。まるで急かすように、何度も。
州平は気遣うように声をかけた。
「いいよ、明音。出て、仕事の急ぎかもしれない」
明音は州平に申し訳なさそうな視線を向けつつも、苛立った手つきで通話ボタンを押した。
「どちら様ですか?」
「まごころ病院の医師です。突然のお電話で申し訳ありません。瀬野さんでいらっしゃいますね?
3年前、鳴海恒介さんから提供された腎臓を移植されていますね。拒絶反応が出ていないか、診察を受けていただきたいのです」