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夫の幼なじみと入れ替わり、私は身を引いた
夫の小寺翔太(こてら しょうた)は、いつもまとわりついてくる幼なじみを、ずっと疎ましく思っていた。 私、小寺理乃(こてら りの)のために、その幼なじみ、奥島悠実(おくしま ゆうみ)との連絡すら絶ってくれたほどだった。 それなのに、目が覚めると、私は悠実と身体が入れ替わっていた。 翔太に相談しなくちゃ。でも、悠実の姿のままでは、門前払いされてしまうかもしれない。 頭の中で何通りもの説明の仕方を考えてから、私は翔太との家を訪ねた。 玄関のドアを開けた翔太は、私を見るなり眉をひそめ、慌てて扉を閉めると、無理やり外へ押し出そうとした。 私は悠実じゃない。そう説明しようとした瞬間、翔太が、ぎゅっと私を抱きしめた。 「なんでここに来たんだ?さては、この2日間、俺のことが恋しくてたまらなかったんだろ」
チャプター (1)
第1章
夫の小寺翔太(こてら しょうた)は、いつもまとわりついてくる幼なじみを、ずっと疎ましく思っていた。
私、小寺理乃(こてら りの)のために、その幼なじみ、奥島悠実(おくしま ゆうみ)との連絡すら絶ってくれたほどだった。
それなのに、目が覚めると、私は悠実と身体が入れ替わっていた。
翔太に相談しなくちゃ。でも、悠実の姿のままでは、門前払いされてしまうかもしれない。
頭の中で何通りもの説明の仕方を考えてから、私は翔太との家を訪ねた。
玄関のドアを開けた翔太は、私を見るなり眉をひそめ、慌てて扉を閉めると、無理やり外へ押し出そうとした。
私は悠実じゃない。そう説明しようとした瞬間、翔太が、ぎゅっと私を抱きしめた。
「なんでここに来たんだ?さては、この2日間、俺のことが恋しくてたまらなかったんだろ」
第1話
呆然とする私をよそに、翔太は固まったままの私の頬へ軽く口づけた。
「ここ何日か、理乃の監視が厳しくてさ。抜け出して会いに行く暇がなかったんだ」
理乃は私だ。私がここにいる。なら、この家の中にいる「私」は、誰?
背筋がぞくりと冷える。目の前の男までもが、急に見知らぬ他人に思えてきた。
黙り込んだのが気に入らないのか、翔太は顔を曇らせ、私の顎を乱暴につかむ。
「言っただろ。理乃の前で騒ぎを起こすなって。妻の座以外なら、何だって叶えてやる」
目に涙をためたまま、私は言葉を失っていた。涙に濡れた顔を見て、翔太の表情がふっとほどける。
「わかったわかった。まったく、すぐ泣くんだから。いい子だ、あとでたっぷり可愛がってやるよ」
急に吐き気がこみ上げた。翔太は今までずっと、こうやって私を欺いてきたのだ。本当のことを言おうとした瞬間、玄関の扉が開き、翔太は反射的に私を突き放した。
「私」が、目の前に現れた。彼女は笑みを浮かべて言う。
「悠実、来てたのね。どうして中に入らないの?翔太ったら、女の子を追い返してどうするの。さあ、上がって」
翔太は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「なんでこんなところに来たんだか。追い返そうとしていたところだ。俺たちの邪魔をするな」
「私」は笑いながら翔太の手を揺する。
「もう、翔太ったら。私以外の女の子みんなに、そんな怖い顔しなくてもいいじゃない」
そう言いながら、「私」は歩み寄り、私の手を取った。視線が絡んだ瞬間、悟った。彼女は悠実だ。私たちは、身体が入れ替わっているのだ。
問い詰めようと手を伸ばすが、悠実はぱちりと瞬きをしてみせた。
「さあさあ、入って。面白い話をしてあげる」
何か考えがあるのだと察し、私は黙ってついていった。
翔太は少し慌てた様子で、後ろから追ってくる。
「理乃、なんでこいつを家に上げるんだよ。水入らずの時間が台無しじゃないか」
そう言いながらも、翔太は悠実の目を盗んで、そっと私の手を握ってきた。私は居たたまれず、その手を振りほどく。
ソファに腰を下ろして、ようやく気づく。テーブルの上に、私と翔太のウェディングフォトが何枚も広げられていた。ゴミ箱に放り込まれたものまである。信じられない思いで、私は立ち上がった。
「これ、どういうつもり?」
翔太が、訝しげに私を見る。
「理乃が、この写真は古いし写りもよくないから、捨てて撮り直したいって言うんだよ。お前がなんでそんなに取り乱すんだ」
悠実が、私の顔で言う。
「そうよ、悠実。私が自分の写真を捨てるだけなのに、どうしてあなたがムキになるの?」
「捨てないで!捨てちゃだめ!」
声を張り上げるなり、私はゴミ箱に駆け寄り、汚れてしまった写真を拾い上げた。
悠実はすぐに立ち上がり、私の声で言った。
「悠実、何してるの?ちょっと待ってて。きれいな服とタオルを持ってくるから」
耳など貸さず、私はただ黙々と写真を拾い集めた。まるで、汚れてしまった私と翔太の愛そのもののようだった。
悠実が席を外した隙に、翔太はしゃがみ込んだ私の顎を、無理やり持ち上げた。
「お前さ、どうかしたのか。たかがウェディングフォトだろ」
第2話
翔太は一瞬考え込み、ふっと笑った。
「ははーん、わかったぞ。俺と理乃の写真にヤキモチを焼いてるんだな?」
彼の手が、私の腰を這うように撫でる。
「安心しろ。理乃と撮り直すときに、お前と撮る分も予約してやる。あいつの目の前で撮ってやるよ。それなら機嫌も直るだろ?ほら、早く立て。見られたらまずい」
翔太に引き起こされながら、私の心は底の底まで沈んでいった。
悠実が、私のタオルと服を持って戻ってくる。
「悠実、早くこっちに来て。拭いてあげるから」
翔太はぱっと私を放し、唇を引き結んで黙り込む。
悠実は何も気づかなかったような顔をしている。このふたりは、前からこんなに大胆だったのだ。そして私は、今までなんて愚かだったのだろう。
絶望に沈む私の顔など目に入らないかのように、悠実は優しげな声で着替えを促してきた。
ぼんやりしたまま浴室に押し込まれ、蛇口をひねる。鏡に映っているのは、翔太が散々疎んじていたはずの悠実の顔。私は声を上げて泣き崩れた。
しばらくして着替えを終えて出ると、悠実が嬉しそうに私の手を取った。
「翔太にも話したの。せっかく来たんだし、うちに何日か泊まっていって。部屋なら余ってるから」
悠実の意図がわからず、私は翔太に目を向けた。けれど彼は私に一瞥もくれず、冷たく言い放つ。
「理乃が頼み込むから泊めてやるだけだ。でなきゃ今すぐつまみ出しているところだぞ。この数日、理乃の話し相手になってやれ。さもないと、その場で追い出すからな!」
胸の奥がすっと冷えていき、思わず身震いした。悠実の狙いなど、わからないはずがない。私の目の前で、翔太といちゃつくところを見せつけたいのだ。
夕食の準備の時間になると、悠実が急に言い出した。
「悠実、前に魚の甘酢あんかけが得意だって言ってたよね。私、魚が一番好きなの。今日、作ってごちそうしてくれないかな」
魚料理なんて、私に作れるはずがない。断ろうとしたところへ、翔太の声が割って入った。
「食べたいって言ってるんだ、作ってやれ。おい、聞こえないのか?さっさと支度しろ!」
言い返す気力もなく、私は黙って台所へ向かった。
シンクの横には、丸ごとの魚が一尾置かれていた。
魚をさばいたことなどなく、どこから手をつければいいのか分からず途方に暮れていると、突然背後から抱きつかれ、思わず飛び上がりそうになった。
翔太だった。
「嬉しいだろ?何日も俺に会えるんだから」
吐き気がして、私は答えない。彼は構わず続ける。
「たかが魚一匹のことだろ。お前には俺がいるんだから、あいつに譲ってやれよ」
私は曖昧に笑ってみせた。
「彼女に気づかれるのが、怖くないの?」
拒まなかったのを見て、翔太も笑う。
「理乃は俺を信じきってるからな。疑うわけがない。夜は、いつもの段取りだ。ゲストルームで待ってろ」
言い残して、翔太は出ていった。
心臓がドクンと跳ねた。いつもの段取り?どういう意味?
考えがまとまらないうちに、悠実が余裕たっぷりの様子で入ってくる。
彼女はもう、取り繕おうとしなかった。
「理乃、私の身体、使い心地はどう?」
「やっぱりあなたね!」
私は思わず魚を放り出した。
「私の身体に何をしたの?早く元に戻して!」
悠実は口元を押さえて笑う。
「戻す必要、なくない?あなたの身体、案外悪くないのよ。あなただって、翔太と一緒にいるじゃない。不倫相手になった気分はどう?」
挑発するような視線に、頭に血が上る。気づけば私は、彼女を突き飛ばしていた。
悠実はよろめき、その手が、すぐ脇で煮えていた味噌汁の鍋に当たった。次の瞬間、みるみるうちに彼女の手に大きな水ぶくれができた。
「きゃあっ、私の手!痛い、手が痛い!」
悠実が泣き叫ぶ。
物音を聞きつけて、翔太がすぐに飛び込んできた。悠実を支えながら、憎悪の込もった目でこちらを睨みつける。
「悠実、よくも理乃にこんなことを!どこまで性根が腐ってるんだ!」
「違うの、わざとじゃない。ちょっと押しただけで……彼女が自分でぶつかったのよ」
第3話
私は慌てて弁解した。翔太の目に、冷酷な光が宿るのが見えたからだ。
「おい、誰か来い」
屈強なボディガードがふたり入ってくる。翔太は歯を食いしばって言った。
「言ったはずだ。理乃には誰にも指一本触れさせないと。お前でもだ!
鍋の味噌汁を、全部こいつの手にぶちまけろ」
そう言い捨てると、泣きじゃくる悠実を抱き上げて出ていった。
「やめてッ!」
私は声を張り上げた。
「翔太、私が理乃なの!ちゃんと私を見て!」
けれど、翔太には届かない。足早に去っていく背中は、どんどん遠ざかっていく。
目の前のボディガードはすでに鍋を持ち上げ、こちらへ歩み寄ってくる。逃げようとしたが、もうひとりに両手を押さえ込まれた。
「いや、放して!私が小寺理乃なのよ、こんなことして許されると思ってるの!」
ボディガードの口元に、蔑むような笑みが浮かんだ。
「奥島さん、小寺社長のご命令ですので。我々にはどうしようもありません」
言い終わるや否や、煮えたぎる味噌汁が、私の両手に降り注いだ。
激痛が走る。数秒と経たないうちに、私は意識を失った。
目を覚ますと、翔太がベッドの脇に座っていた。顔色は優れない。私が目を開けたのを見て、彼は不機嫌そうに口を開く。
「面白くないのはわかってる。でも言っただろ、理乃は俺の命なんだ。あいつに手を出すな」
言い終えるや、彼は私の首に手をかけた。もがいて起き上がろうとしたはずみで、包帯を巻かれた両手に激痛が走る。
私の苦痛に歪んだ顔を見て胸が痛んだのか、翔太は不意に手の力を抜いた。私は荒く息をつく。
「悠実、おとなしくしてろ。お前が俺の女でいることは許してやる。だが、もう一度言うぞ。理乃の前で騒ぎを起こすな」
険しい顔のままだったが、その口調はいくぶん和らいでいた。
私は涙といっしょに、笑いをこぼす。
「翔太、もし私が理乃だって言ったら、あなたはどうする?」
目の前の男の瞳が、一瞬、はっきりと揺れた。けれどすぐに口の端を歪める。
「悠実、俺の気を引きたいなら、理乃のふりなんてしなくたっていいんだぞ」
心がひとつ、またひとつと砕けていく。わからない。どうして、ひとつの心でふたりの女を同時に愛せる男がいるのだろう。
「ほら、もう泣くな」
翔太が私の涙を拭った。
「今回の罰は、少しやりすぎたかもな。この前、理乃がしてるのと同じ結婚指輪が欲しいって言ってただろ。急ぎで特注したから、お前にやる」
翔太は背後から小さな箱を取り出し、蓋を開けた。中に収まっていたのは、私がデザインした結婚指輪とまったく同じものだった。涙が、とめどなくこぼれ落ちる。
「なんだよ、嬉しくて泣いてるのか」
そう言って、彼は私の布団を整えた。
「手が治ったら、俺がはめてやる。理乃は怪我したばかりで、睡眠薬を飲ませるのは体に障るからな。今日はゆっくり休め。無理はさせないよ」
そうだったのか。いつもの段取りとは、私に睡眠薬を飲ませ、ぐっすりと眠らせて、その隙にふたりで人目を忍んで会うためのものだったのだ。
さーっと血の気が引き、全身が凍りついたように冷たくなった。
部屋を出ていく翔太の背中を見送り、私は深く息を吸う。そして、こっそりと後を追い、主寝室の前まで行く。扉は、きちんと閉まっていなかった。
部屋の中から、「私」の声が聞こえてくる。
「悠実のところに行ってきたんでしょう?あの子、どうだった?」
翔太の声には、不満がにじんでいた。
「そんなに優しくしなくていいんだ。あいつのせいで怪我したんだぞ。たっぷり痛い目に遭わせてやったからな」
悠実がこちらをちらりと見やり、それから聞き分けのいい妻を装って言った。
「でも悠実は、あなたと小さい頃からずっと一緒に育ったのよ。私のために仲違いなんてしないで。ただの軽い火傷だし、医者も大丈夫だって言ってるもの」
翔太は彼女のベッドの縁に腰かけ、そっと腕の中に抱き寄せた。
「理乃、お前は俺が出会った中で、世界一の妻だ。永遠に愛してる!」
悠実の目に、一瞬だけ、嫉妬と憎しみがよぎる。だがすぐにそれを柔らかな色に塗り替え、優しい声で言った。
「……私も愛してるわ」
そして、唇を重ねた。
第4話
情欲に駆られながらも、翔太は悠実の手の怪我を案じていた。
「理乃、手が……」
悠実は彼のシャツのボタンを外していく。
「平気よ。あなたが楽しんでくれれば、それでいいの」
やがて、ふたつの影がもつれ合った。
突然、猛烈な吐き気がこみ上げた。私は扉の前で何度かえずき、よろめきながらゲストルームへ戻った。
テーブルの上に置かれたダイヤの指輪が目に入った。
私はそれを乱暴に払いのけ、そのままゴミ箱へ落とした。
もう、人も物も、何もいらなかった。
……
翌朝。部屋を出ると、翔太が悠実を支えながら階段を下りてくるところだった。彼は、私の顔をまともに見ようともしない。
悠実は翔太を軽く小突いて、柔らかな声で言った。
「悠実、昨日はわざとじゃなかったって、ちゃんとわかってるわ。翔太も、あんなに厳しく罰しなくてもよかったのにね。私からきつく言っておいたから、もう怒らないで」
相手にしたくなかった。けれど、翔太の剣呑な視線がこちらを射抜いた。ここで話を合わせなければ、また罰を受ける。そう悟って、私は仕方なく口を開く。
「……わかってる」
悠実は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、みんなでオークションに行きましょう。翔太が、気晴らしに何かプレゼントしてくれるって。悠実も一緒に行こう?」
翔太はいつものように渋った。
「なんでわざわざ、こいつまで連れて行くんだ」
悠実が彼の手を揺すって甘える。
「いいじゃない、みんなで行こうよ」
翔太は彼女の鼻先を軽くつついた。
「わかったわかった。お前の言う通りにするよ」
悠実が、意味ありげな視線をこちらに向けてきた。私は黙っていた。
オークション会場では、悠実と翔太が当然のように最前列に腰を下ろした。私も並んで座ろうとしたそのとき、悠実が不意に言った。
「悠実、後ろの席にしたら?ここ、全部ペアシートだから」
私はじっと翔太を見つめた。彼は小さくうなずくだけだった。
「後ろに行け。目障りだ」
「……わかった」
騒ぎ立てはしなかった。ウェイターに案内されるまま、いちばん後ろの隅の席まで、おとなしく歩いていった。
休憩時間、お手洗いから出たところで、私は翔太に腕を引かれて、物陰に連れ込まれた。
「浮かない顔しやがって。ほら、お前にジュエリーを一式、競り落としてやったぞ。お前のはメインのネックレスで、あいつのはサブだ」
彼の手がいやらしく私の尻へ伸びてきたが、私はさりげなく身をかわした。
「これなら、お前のほうが上だろ?少しは機嫌が直ったか?」
私は無理に口の端を持ち上げた。
「……うん」
そして間髪入れず、バッグから1通の書類を取り出した。
「私ね、越山市にあるあの豪邸が欲しいの。プレゼントしてくれたら、もっと嬉しいんだけどな」
翔太が一瞬黙り、中身に目を通そうと書類をめくりかける。心臓が口から飛び出そうだった。そのとき、外から悠実が彼を呼ぶ声が響いた。翔太は即座にペンを受け取り、署名欄にサインした。
「お前が嬉しいなら、それでいい」
書類を私に返すと、翔太はすぐさま出ていって、悠実の肩を抱き寄せた。私は踵を返し、その足で役所へ向かった。
離婚届を提出し、必要な手続きを済ませ、私は離婚届受理証明書を、そっと胸に抱えた。
帰り道、スマホが「ピコン」と鳴る。翔太からのメッセージだった。
【どこに行ったんだ?理乃がウェディングフォトを撮りたいって言うから、お前も来い。あいつの撮影が終わったら、そのあとお前とも撮ってやる】
続けて、ブライダルショップの住所が送られてきた。
胸が詰まった。涙で画面の文字がにじんでいく。
私たちは、ここで終わりよ、翔太。
邸宅に戻り、必要なものだけをまとめた。それから1通の手紙を用意して、宅配業者に頼み、すぐ翔太のもとへ届けてもらうことにした。
スーツケースを提げて出ていくとき、私は3年間暮らした家を、最後にもう一度だけ振り返った。
さようなら。
一方そのころ、ウェディングフォトを撮っていた翔太は、胸の奥にうっすらと不安を覚えていた。そこへ、入口のほうから配達員の声が響く。
「小寺翔太さんにお荷物でーす!」